8月1日 約13時間のフライト後にイギリスに着 きました。午前9時半に成田
を出発。ヒースローには夕方4時半着。宿の近くにハイドパークがあったので散
歩しました。デジカメの日付を調整していなかったので、日付は2日(日本時間)
ですが、まさにグリニッジ標準時では1日の夜7時過ぎの写真です。暗くなっの
は9時ぐらいでした。ハイドパークで日光浴したり、フットボールをしている人たち
をみると、なんだか人生を楽しんでいるなと感じたものです。

ハイドパークの横にあるマーブルアーチ。バッキンガム宮殿の正面門が移築
されたもの。

8月2日、ロンドンからコベントリーに移動し、warwick大学のstaff flatに入居しました。コの字型になった建物で、私の部屋から反対側を移したものです。きれいな中庭で、子どもたちと親が一緒に遊んでいます。全部で50世帯です。

宿舎の窓から、大学のメインキャンパス方面を眺めたものです。
朝の6時に写しました。日が昇るのもはやいですね。

奥に見えるのがInstitute of Education の正面玄関

メインキャンパスからInstitute of Educationがあるウエストウッド
キャンパスへ続く構内の道路です。キャンパスが大きくて美しい
ことが伝わるでしょうか?

一年間、お世話になるInstitute of Educationの前で。研究室もここにあ
ります。英語漬けで、自分の語学力の無さに自己嫌悪の毎日。まだ始
まったばかりだからと自分を励ましています。(8月4日)

コベントリー大学の前で。どう思います。この建物。

8月6日、広島でも平和祈念式典が行われたと思います。
コベントリー市は広島市と姉妹都市であり、コベントリー
大聖堂の「和解」の像は広島平和公園にもあるそうです。

コベントリー大聖堂で行われた「Hiroshima Day Service」に参加しま
した。約70名ぐらいの参加者が、1945年広島、長崎の惨劇を、詩の
朗読を通して学び、核兵器のない平和な世界の実現を祈りました。
原爆投下日に、この集会がコベントリーでおこなわれ、多くの人が
真剣に祈る姿に感動しました。(8月6日)

どこまでもローリングヒルが続きます。

8月7日(土)、初めての週末。日産マーチをレンタルして近郊の都市、ケニ
ルワースとウォーリックを訪ねました。写真はケニルワース城です。

ウォーリック城。夏休みの週末とあって、大変な数の観光客でした。

イギリスには国中にfoot pathがはり巡らされ、人々はトレッキングを楽しん
でいます。日曜日の夕方から、大学の構内を取り囲むWarwickshire Walk を
散策しました。早足でも一時間半かかりました。ここも大学構内なのです。
8月8日(日)

foot path沿いにある大学のフットボールコートです。さすがにサッカーの
生まれた国ですね。

シェークスピアの生誕地ストラッドフォード・フォン・エイボンに来ました。自宅
から車で約30分ほどで行けます。
8月14日(土)

13世紀の建物です。祭壇の手前に彼のお墓がありました。

ストラッドフォード・フォン・エイボンの町並み。人気のスポットのようです。

ロンドン大英博物館。世界の歴史文化を味わえます。大英帝国の繁栄の象
徴です。

タワーブリッジ。ロンドンまではコベントリーからコーチ(長距離バス)で
約2時間です。(8月19日)

ウェストミンスター寺院。中にはたくさんの王族の墓が
ありました。戴冠式もここで行われます。

パブリックスクールの名門ラクビー校です。さすがに風格があります。

ラグビー発祥の学校だけに、校庭には広々としたラクビー場がありました。

ラクビー校の中庭。関係者はイギリスで一番の学校だと強調していました。

ラクビー校には、2つのチャペルがあります。中では女子生徒の一人がパイプオルガンの練習をしていました。

ラクビー校の廊下。新学期には学生で賑やかになることでしょう。

教室の一つ。中2階には古い書籍がぐるりと並んでいました。席数
は全部で20くらいでしょうか。

スコットランドのベン・ネヴィス(1344b)。イギリス最高峰です。

ハイランド最大の小さな町インヴァネス。お城でスコットランド戦史について講義を受けました。

これが、ネス湖のネッシーです?。

コッツウォルズ地方バイブリーの町です。バケツが余分ですね。

アーリントンの家並み。14世紀に羊小屋や倉庫として建てられ、17世紀に機織り職人が住むようになって、屋根裏部屋が付け加えられたそうです。(バイブリー)

大学も新学期に入ります。夏休みのイギリス探訪もしばらくお休みして、本業に専念したいと思います
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