《正規版レジュメ》

「密室の謎とダゲレオタイプ」

伊藤詔子

本発表ではこの名作を生み出した二つの要素、ダゲレオタイプと密室に焦点を当てたい。1839年ダゲールとニエプスが開発したこの驚異的な発明後、ポーは一早くフィラデルフィアの「アレキサンダー・ウィークリー」誌に「銀板写真」(“The Daguerreotype”)と題する記事を書いて、人間の手になる如何なる描写よりも、対象の優れた再現を行うとしてこの技術の革新性を賞賛した。また写真の語源が「ギリシャ語の太陽の画描である」とも述べたが、それまで落日後暗闇のうちに進行したストーリーを、初めて太陽光線による作品展開に変えていることとも関係する。ヴィクトリア朝の視覚表象に詳しいトラクテンバーグは「鏡としての機能性において、写真画像はピールが描き、モースが言及した表象システムへの、最もラディカルな革新性を露わにしている」と論じている。ポーを魅了したのは、word-paintingといえる30年代のポーの風景とダゲレオタイプの絶対的な表象性の差異であり、これが「モルグ街の殺人」以降に見られる新聞記事的死体描写に見られるような、風景の劇的変化を生み出したと思われる。ポーはまたダゲレオマニアであり、1840年以降撮影のためスタジオに足を何度も運んで全部で6種類も肖像写真を残し、ルネサンス作家の誰よりもダゲレオを愛した。憔悴しきった亡くなる年のポーに、一体何がダゲレオに固執させたのか。

一方この作品のもっとも革新的な創造とされたのは密室であったが、モルグ街のレスパネー母娘の部屋は、実は密室ではなく窓が自由に開閉できた。窓からの超自然的存在の侵入は、ポー作品のオブセッションで多くの作品のモチーフであり、筆者はそれを“Gothic Windows in Poe”と呼んで考察した。Raven はドアでなく窓から入ってきたし、黒猫Plutoの吊り下げられた死体は窓から投げ入れられた。Usher は嵐の夜、こともあろうに窓を開け放ち、マドリーンの墓からの舞い戻りを促してしまう。しかしレスパネー母娘の部屋に侵入したのは、40年代までのポーを圧倒してきた超自然的侵入者ではなく、自然そのものといえるボルネオの森、自然からの使者ともいうべきオランウータンであった。実際ポーがいかに「モルグ街」で窓に執着したかは、テキストにwindow28回繰り返されることからもわかるが、窓もまたこの作品では変質したのである。落雷を避けて電気を導くはずのフランクリンの避雷針を伝わって、巨大な生き物が飛び込むというからくりには、フランクリンの理神論や合理主義をあざ笑う自然の脅威の再導入とも呼べる意図が背景にある。窓によって隔てられた内と外、文化と自然、美女と野獣は攪乱されて渾然一体となり、美女の身体は窓から投げ捨てられ、ばらばらの物体となって観察の対象と化すのである。

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