北条市立ふるさと館の調査で探求中の文書を発見

   ―庄屋抜地訴訟における原告側証拠(写)全文を入手―


   ※これは、『愛媛資料ネット会報』 第4号(2004年4月13日)に
     掲載したものである。
                  

はじめに

 芸予地震を機に発足した「愛媛資料ネット」は、参加者の輪も次第に広がり、着々と成果をあげている。この活動を担ってこられたのは、愛媛大学関係では、主として寺内浩先生や内田九州男先生であり、また日本史教室の学生のみなさんの奮闘であっただろう。また地元における多彩な参加者・協力者の活動も、この活動を盛り上げている要因として、忘れることはできない

 私は、余り活動には参加できていないのだが、しかし、一、二の資料調査に同行したことがある。昨年夏の三津の定秀寺と、北条市立ふるさと館の調査である。まだ、調査は途中段階なのだが、北条市立ふるさと館の調査において、長年探求を続けてきた史料と遭遇するという望外の経験に浴した。以下、その顛末を記そう。

一 発見した史料とは

 北条市立ふるさと館所蔵の史資料の中に、庄屋史料がある。その中に、風早郡米野々村で代々庄屋を務めた白石家の文書があった。その中の、とくに一点の史料に、私の目は釘付けになった。

「明治十四年十二月五日 証拠物写 愛媛県伊予国 風早郡寺谷村弐百弐番地住平民 原告 石橋信敏」なる文書(以下、本史料を「証拠物写」と称する)である。

 本史料には、後で述べる風早郡米野々村訴訟において、原告から裁判所に提出されたとみられる、次のような5点の証拠(写)が綴じ合わされていた。

第壱号 「正徳三巳年 旧松山藩御奉行所ヨリ各郡へ触面ノ写」

第弐号 「明和二年 旧松山領藩主ヨリ越智郡桑村郡之内ニテ壱万石上地ノ砌幕府御代官ヨリ達書ノ写」

第三号 「天明六年 旧松山領伊予郡西古泉寺町両村均賦検地ノ節旧御代官星野七郎氏ヨリ申渡書ノ写」

第四号 「明治元年 先庄屋白石次郎左衛門事白石次郎ヨリ当原告実父石橋太平次ヱ庄屋地付譲リ証拠写」

第五号 「明治十四年 勧解第弐千百七拾六号勧解表之写」

 このうちとくに注目されたのは、第壱号〜第三号である。これこそ、大げさに言えば、私がここ十年来捜し求めていた史料である。どこかで発見できるだろうという期待はあったが、「まさか、ここでお目にかかるとは」というのが、正直な感想であった。

 そのわけを理解いただくには、明治10年代に展開された庄屋抜地訴訟について、語らねばならない。

二 庄屋抜地訴訟について

@庄屋抜地訴訟とは

 庄屋抜地訴訟とは、旧幕時代伊予国松山および今治藩領各村々に存在した独特の「庄屋抜地」なる土地をめぐって、明治十年代旧庄屋と村民が争った事件であった。松山地方裁判所の裁判記録その他から、18件の裁判が存在したことが、これまでに判明している。裁判の結果は、原告の旧庄屋側が勝訴したものもあれば、被告の村民側が勝訴したものもある。第一審では決着がつかず、控訴審・上告審までもつれこんだものも少なくないという大事件であった。詳しくは、内田九州男他『愛媛県の歴史』(2003年、山川出版社)256ページ以下、矢野達雄『法と地域と歴史と』(近刊、創風社出版)を参照されたい。

A 早郡米野々村事件

 旧幕時代松山藩領内だった風早郡においても、庄屋抜地をめぐる訴訟が展開されている。風早郡米野々村の抜地をめぐる事件がそれである。

 原告は、旧庄屋石橋信敏。その代人には、栗田宏綱が就任。被告は、米野々村の村民一同であった。第一審(明治15年1月14日判決)、控訴審(明治1512月判決)とも、原告旧庄屋側の勝訴であった。

三 今回発見の「証拠物写」の意義

 今回発見の「証拠物写」は、早郡米野々村事件において、原告側から裁判所に提出された証拠とみられる。そのうち、第壱号〜第三号は、本件のみならず多くの庄屋抜地をめぐる裁判に提出され、判決で言及された証拠であった。

 裁判では、その真偽や解釈が争われたが、詳細は別の機会にゆだねよう。問題は、これら史料が判決の中で断片的に引用されるだけで、容易にその全貌がつかめない所に、掻靴掻痒の感があった。私は、各判決文中より断片を拾い上げて再構成するという、まるで律令の拾遺のような作業(何と大げさな!)を余儀なくされたのである。できれば全文を知りたいものだとの願望が沸々とわいてきたのは、無理からぬことと理解していただけるであろう。

 それを、今回はからずも、北条市立ふるさと館所蔵史料の中から発見することができた。残念ながら写しであるから、文書の真偽論争に結着をつけるには至らない。しかしその全文を読むことができるようになったのは、大きな前進と言わなければならない。

 偶々裁判所所蔵の判決原本の調査から手がけるようになった庄屋抜地の研究であるが、このように未発見の在地史料に接する度ごとに、その手ごたえの大きさに身震いを感じてくる。「愛媛資料ネット」の調査活動は、庄屋抜地の研究に、いっそうの広がりと深さをもたらしてくれそうである。