これでいいのか“坂の上の雲”のまちづくり  

  ※これは、2004年9月ころに朝日新聞(大阪本社)「論壇」に投稿した
   ものである。 字句の修正等、担当者との打ち合わせも済ましたが、
   いっこうに掲載される気配がなく、結局今日に至るまで掲載されてい
   ない。その間に、市議会で関係予算が承認され、問題の記念館の着
   工もはじまってしまい、残念でならない。
    ここには、最初の投稿原稿の形で載せておく。

                       

 いま、私の住んでいる松山市で、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」を中心にしたまちづくりが進んでいる。中村時広市長は、一九九九年の初当選以来、この作品を中心として、市全体を屋根のない博物館とし、ハコ物は作らないフィールド・ミュージアム構想を表明してきた。地方自治体が、一つの作品をまちづくりのアイデンティティにするのは、前代未聞である。

 まちづくりの予算は、安藤忠雄氏設計の仮称「坂の上の雲」の記念館の建設費が約八億九千万円、ロープウェイ街整備など直接関連事業が約三〇億円、その他間接関連予算に至っては市の担当者も把握し切れないという。ハコ物を作らないという当初の方針はどうなったのだろうか。

 「坂の上の雲」は、松山出身の正岡子規、秋山好古・真之の三人が主人公とされている。しかし、子規は、全体の三分の一も終わらないうちに死去し、その後は登場しなくなる。小説の残り三分の二は、日露戦争の戦闘の描写や、両軍のリーダーやサブ・リーダーの動きに終始する。秋山好古は陸軍騎兵を率い、真之は連合艦隊の参謀として登場するが、頻度はかならずしも高くない。

 二〇〇二年一二月の「全国都市再生に関する首長・有識者懇談会」に松山市は、歴史と文化を生かしたまちづくりに取組んでいるとして、稚内市ら四市とともに招かれた。この時点において、「坂の上の雲」のまちづくりは、明確に「小泉構造改革」の一環に位置づけられたと私は見ている。小泉首相は年頭の施政方針演説において、〇三年、〇四年連続で松山市のまちづくりに言及した。さらに〇三年初頭には、NHKが〇七年度にも「坂の上の雲」をスペシャル大河ドラマ化すると発表した。しかし、生前司馬は、ミリタリズムの鼓吹と受け取られることを恐れ、この作品の映像化は決して許さなかったのである。

 まちづくりには、「三津の朝市復興」「道後の街並整備」などのように市民の創意・工夫を取り上げるなど評価できる面もある。しかし、懸念されるのは、記念館の展示内容である。このほど示された概要によると、果たせるかな戦争中心の展示内容となっている。

 著者司馬遼太郎は、日清・日露の戦争を祖国防衛戦争であったと見ている。その根拠は、「朝鮮を他の国にとられた場合、日本の防衛は成立しない」という朝鮮の地政学的位置に求められる。しかしこのような見方は、戦場となった朝鮮半島および中国東北部(満州)の人たちを到底納得させることはできないであろう。また、司馬は日清・日露の戦争時、日本人はいじらしいほど国際法を遵守したと述べる。しかし、朝鮮王宮占拠事件、旅順港虐殺事件、閔妃暗殺事件などには口を閉ざしている。

 松山市は、韓国ソウル、中国上海との間に定期航空路がある。これらの国々と国際友好を深めるためには、自己中心的な歴史観ではなく、事実にもとづいた真摯な歴史観を構築することが求められる。