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第4回年次大会・第5回総会プログラム 日時 2011年9月17日(土)
会場: 津田塾大学5号館(AVセンター) 〒187-8577 東京都小平市津田町2-1-1
▼10:00 受付開始
▼10:15 開会式
開会の辞 日本ポー学会会長 巽 孝之
会場校挨拶 津田塾大学学長 飯野 正子
▼10:30 ~ 11:50 研究発表 司会: 伊藤 詔子 (松山大学)
1. センセーショナルな<赤>と芸術創造―― “The Pit and the Pendulum” 再考
村上 恵梨花 (福岡女子大学・院)
2. “A Tale of the Ragged Mountains” における風景
岡本 晃幸 (関西学院大学)
▼12:50 ~ 15:20 シンポジアム エドガー・アラン・ポーと映像文化
司会 辻 和彦 (近畿大学) 序論――ポーの十九世紀と映像の二十世紀
講師 高橋 綾子 (長岡科学技術大学) ポーの「イメージ」とアメリカ現代詩
高橋 俊 (高知大学) <恐怖>の表象――ポー・アメリカ・中国
西山 智則 (埼玉学園大学) ポーの子供/怪物たち――映画と悪夢の表象をめぐって
▼15:40 ~ 16:40 特別講演 ポーと室内デザイン
柏木 博 (武蔵野美術大学) 司会: 巽 孝之 (慶應義塾大学)
▼16:50 ~ 17:10 総会
▼閉会の辞 日本ポー学会副会長 伊藤 詔子
▼17:30 ~ 19:30 懇親会
会場 津田塾大学 大学ホール 会費 6000円(学生3000円)
交通アクセス―
JR総武線 飯田橋駅下車 徒歩約10分 ・市ヶ谷駅下車 徒歩約10分
地下鉄
有楽町線/南北線 飯田橋駅下車 徒歩約10分・市ヶ谷駅下車徒歩約10分
大学ホームページより――
・交通アクセス
<http://www.hosei.ac.jp/hosei/campus/annai/ichigaya/access.html>
・キャンパス案内
<http://www.hosei.ac.jp/hosei/campus/annai/ichigaya/campusmap.html>
▼9: 00~10: 15 役員会 (S303教室)
▼10: 00 受付開始
▼10: 20 開会
開会の辞 日本ポー学会会長 巽 孝之
会場校挨拶 法政大学英文学会会長 結城英雄
総合司会 須藤祐二 (法政大学)
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▼10: 30 ~12: 30 研究発表(S307 教室)
1.司会・ 鵜殿えりか (愛知県立大学)
フィラデルフィア・ゴシック――ポーとワイドマンに見る都市論的想像力
富山
寛之 (慶応義塾大学(院)
2.司会・大串尚代 (慶応義塾大学)
Predecessors and Parents Confronted: Poe’s “The Cask of
Amontillado”
and Bowles’ “In the Red Room” Greg
Bevan (福岡大学)
3.司会・大串尚代 (慶応義塾大学)
ポーの新大陸冒険譚――『ジュリアス・ロドマンの日記』と『ルイスとクラークの探検日誌』比較論
小澤奈美恵 (立正大学)
▼13:30~16: 00 シンポジアム
『アーサー・ゴードン・ピムの冒険』――未完の水域を彷徨(さまよ)って
司会・講師 伊藤 詔子 (松山大学)
講師 西崎 憲 (作家)
新島 進 (日本ジュール・ヴェルヌ協会会長)
大島由起子 (福岡大学)
▼16:10~17:
20 特別講演
大井浩二(関西学院大学名誉教授) 司会 西山智則(埼玉学園大学)
ポーの収入――アメリカ作家の家計簿をのぞき読む
▼17:30~18:00 総会
▼18:
00 閉会の辞 副会長 伊藤 詔子
▼18: 30~20: 30 懇親会
会費
6,000円(学生3,000円)
研究発表概要
1. フィラデルフィア・ゴシック――ポーとワイドマンに見る都市論的想像力
富山
寛之
アメリカ合衆国有数の自由黒人人口を抱える、アンテベラム期のフィラデルフィアは、国論を二分する黒人奴隷制の帰趨を占ううえで、試金石になりうる街であった。多くの作家たちがこの街で小説を執筆したが、その中に、19世紀作家エドガー・アラン・ポーと、現代黒人作家ジョン・エドガー・ワイドマンがいる。1793年の黄熱病危機や、1838年のペンシルヴェニア・ホール焼き討ち事件など、共通する事件に触発されて小説を執筆しているにも関わらず、両者を比較検討する先行研究は少ない。
だが2010年春には、Samuel Otterの画期的な歴史主義的研究Philadelphia Stories: American Literature of Race and
Freedom (Oxford UP)が刊行され、フィラデルフィアを様々な社会改革の「実験場」と定位し、ポーとワイドマンを含む、フィラデルフィア作家たちの広範なナラティヴを射程におさめた。本発表では、このOtterの最新の論考を応用しながら、時代の異なる二人のフィラデルフィア作家の都市論的想像力が交差する地点を、ゴシック的モチーフの中に探っていく。
2. Predecessors and Parents Confronted: Poe’s
“The Cask of Amontillado” and
Bowles’ “In the Red Room”
Greg Bevan
The
influence of Edgar Allan Poe on the work of Paul Bowles (1910-1999) has been a
salient question since the appearance of Bowles’ first story collection, which
he dedicated to his mother because she had read him Poe’s stories in his
childhood. “It wasn’t very good for sleeping—they gave me nightmares,” he
said. “Maybe that’s what she wanted, who
knows?” In the shocking violence and
horror of Bowles’ early stories it is easy enough to find echoes of Poe. “The Delicate Prey,” for example, features a
live burial scene that recalls Poe’s “The Cask of Amontillado.” But the lurid excess that mars Bowles’ debut
collection suggests that he had not yet come to terms with his relationship to
his predecessor (nor, considering the dedication, to his parents).
We again encounter the ghost of “The Cask
of Amontillado” in a celebrated 1980 story by a much more mature Bowles. “In the Red Room” features obvious fictional
stand-ins for Bowles and his elderly parents, and a brutal murder which—in
contrast with the exhibitionism of Bowles’ early stories—the narrator learns
about secondhand. The story is propelled
by the same drive to confession as “The Cask of Amontillado,” but now Poe’s
horror has been contained as a narrative within the story—paradoxically
heightening its impact. (“In the Red
Room” appeared in The Best American Short
Stories of the Eighties.) Through an
analysis of both stories, this presentation will aim to elucidate the
relationship of the 70-year-old Bowles, as he viewed it, toward both his parents
and his nineteenth-century muse.
3. ポーの新大陸冒険譚――『ジュリアス・ロドマンの日記』と『ルイスとクラークの探険日誌』比較論
小澤 奈美恵
『ジュリアス・ロドマンの日記』(The
Journal of Julius Rodman,1840)は、未完の長編小説であり、『アーサー・ゴードン・ピムの物語』に比べると、ゴシック的想像力に乏しい失敗作と看做されても仕方のない作品である。しかしながら、ピムの南極探検が海洋ゴシック・ロマンスであるのに対して、ロドマンの日記は、新大陸を探索するロマンスという点で対になる作品でもある。ポーが作品を創作する上で利用した主要情報源は『ルイスとクラークの探険日誌』でありながら、ポーは、ルイスとクラークに10年も先立つ1791年に、ロドマンが既に同じルートを発見していたという捏造話を創り上げた。本発表では、ロドマンの日誌をルイスとクラークのものと比較しつつ、ポーがこの情報源から取捨選択し、何を描き、何を切り捨てたかを明らかにし、無意識的に抑圧した幻想を解き明かしていきたい。ポーが強調したのは、天上的な自然美であり、抑圧したのは19世紀のアメリカが行った領土拡張に伴う先住民の制圧と支配、ルイスとクラークの探険によって伝説化された先住民女性、サカジャウィーアに代表される異種族混交など、アメリカが国民的建国史の中に封印した事実と重なっていく。
シンポジアム 全体趣旨・個別趣旨
『アーサー・ゴードン・ピムの冒険』――未完の水域を彷徨って
1960年代からの第一期ポー・リヴァイヴァルは、これまで看過されてきた『ピム』研究を中心に展開したとみてよいだろう。それを完成したのがピムの出航地、ナンタケット島で1987年開催された「ピム出版150年祭会議」であった。G・R・トムソンは開会式で、「ピムはガリバー旅行記、ドンキホーテと並ぶ世界文学の傑作である」と宣言し、これまでの駄作説を一掃した。リチャード・コプレイ編『ポーの「ピム」、批評的探求』はその集大成であり、ポーとアメリカ社会、特に南部の歴史との関係読み直しが、『ピム』から澎湃と起こり、ポー作品全体を活性化した。同書でJ・C・ロウの論文は「我々はポー批評を歴史化する必要がある」(ロウ
122)とし、それまでも明らかになっていた1831年のナット・ターナー事件の影響を重視しポー批評の歴史化の方向を促進した。一方、去年生誕
200 周年の行事はどちらかというと作家ポー自身の生涯への興味から、ミステリーものと、海洋ものとしては最晩年の未完短編
“The Lighthouse” に焦点があたり、『ピム』論は少なかったかと思う。しかし20 世紀の終わりまでに神話批評、心理学的批評、神学的批評、解体批評、ニューヒストリシズム、人種批評などあらゆる批評が投じられてもなお、語りつくされたという感じは決してしない。今回のシンポジアムでは改めて未完ということに着目して、更なる論及という批評的続編を試みたい。恐怖という主題を作家が語り、フランス文学の立場からヴェルヌとの比較、メルヴィル学者による人種混交への着目、エコクリティシズムから自然表象についてなど、いまだ語られてこなかった新たな問題に4人が光を当てて、ポー文学全体の魅力の宝庫ともいえる『ピムの冒険』、その未完の水域を彷徨うこととする。
(文責・伊藤
詔子)
ポーにおける恐怖と恐怖におけるポー
西崎 憲
ポーの作品のなかに登場するさまざまな「恐怖」と作中人物との距離は興味深い。なぜなら「ゴーストストーリー」「ゴシックロマンス」という、恐怖を主眼とした英米の小説に見え隠れする、恐怖との距離の設定という問題を、ポーは自作のなかで非歴史的に、百科全書派的に考察しているように見えるからである。また恐怖小説のナラティヴによってひじょうに重要であって「距離」との関わりも深いと考えられる「枠」の存在に関しても、ポーは多くの素材を提供してくれる。
総じて恐怖小説のなかの恐怖は、初期においては、知人の話(デフォー
「ヴィール夫人の幽霊」)、遠方の城(あまたのゴシックロマンス)といったふうに、読者にあまり直接的にかかわってこない。しかし時代を経るにしたがって、両者の距離はしだいに狭まり、日常のなかの恐怖が語られるようになり、一人称的な要素が濃くなり、最終的には「狂気」あるいは存在論的な装いをまとって、人間の内側まで入りこむ。『アーサー・ゴードン・ピム』は恐怖に関するポーの特殊性をよく体現した作品である。グランプス号の船倉の箱という極端に狭い空間での恐怖からはじまり、広大な極地の空間での恐怖に終わる構成は、ジャンルの逆進化のようで興味深いし、愛犬が異質な存在になってゆく恐怖は恋人や妹が恐怖の対象に変わっていくというポーのお馴染みの恐怖の一変奏であると思われるが、それは恐怖がまさに内側に入りこむ直前の状態なのではないだろうか。また、オーガスタスの腐った脚がもげるというスプラッター的な恐怖はいったい人間のいかなる部分から発する恐怖であるのか。
肉体的な恐怖から、超自然的な恐怖まで、ポーはすべての恐怖を利用しようとしたふしがある。人間における恐怖、というのはあまりにも浩瀚に過ぎる主題かもしれないが、ポーの作品を通じてそうしたことについても考えてみたい。
『氷のスフィンクス』をめぐるヴェルヌとポーのセクシュアリティ
新島 進
『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』の続編、二次創作であるジュール・ヴェルヌ『氷のスフィンクス』 (1897) を中心に考察をおこない、両作家の関係に新たな光をあててみたい。『気球に乗って五週間』 (1863)、『八十日間世界一周』 (1872) など、ヴェルヌはポーが用いたトリック、機械装置からインスピレーションを受けて作品を書き、また1864年にはポー論である「エドガー・ポーとその作品」も発表している。まずは、こうした直接の影響関係からヴェルヌのポー受容を確認する。次に『氷のスフィンクス』に焦点をあて、セクシュアリティの観点からポー作品と比較してみる。ヴェルヌの“氷のスフィンクス”に性的な含意を読みとる先行研究の妥当性を検証しつつ、フランス人作家が『ピム』をいかに独自の幻想譚として再構成しているかを考える。またヴェルヌは
Tekeli-li のアナグラムともとれる言葉を、『カルパチアの城』 (1892)、また最晩年の別作品
『ヴィルヘルム・シュトーリッツの秘密』 (1910, 死後出版) で用いている。両作品は作家の独身者性を強く示す作品であるが、白が象徴する婚姻に対するヴェルヌの両義的な態度についてもポーと絡めて論じてみたい。
Dirk/Dark
Petersの活用
大島
由起子
『ピム』についての人種批評といえば、黒人表象に集中してきた感がある。しかし、昨今の南太平洋表象の研究では、Tsalal島を、当時アメリカにとって南の果てと認識されていたソロモン諸島の島だとみなし、『ピム』にアメリカの南海進出に伴う欲望を読み取っている。そもそも、ピムにしてもオーガスタスにしても、ピーターズにしても、遠隔地に交易所を設けることを目指す家系である点は何を示すのであろうか。こうしたことも念頭に置きつつ、黒人や南太平洋とは少しずれる視点で『ピム』を読み直したい。
作品後半でピムを導くとされている、先住民との混血ダーク・ピーターズ。本発表では、ピーターズが北米の混血先住民であることに注目し、ピーターズが白人、黒人、あるいは純血先住民ならば、作品の何がどう違っていただろうかという素朴な問いから出発したい。地図なき原始世界を探求していたかの『ピム』は、地理的にも精神的にも白いアメリカに回帰して閉じられる。白人ピムは混血先住民ピーターズについて、通念であった悪魔表象をしたり、恣意的に白人扱いしたりする。ピムがピーターズに自己のさまざまな願望を充足させる役割をふり、ピーターズがそうした欲望を満たすと、彼を物語から排する。その排除機構の巧妙さを本発表では検証したい。
『ピム』のいきもの表象とゴシック・ネイチャー
伊藤
詔子
ポーの主要作品にはいきものが必ず登場するのみならず、黒猫のプルートー、「The Raven」
の大ガラス、「モルグ街」のオランウータン、「黄金虫」のコガネムシ、「ウィサヒコンの朝」のエルクなど作品の主役を果たしている場合が多い。いきものが人間を支配している感じもあり、また他の作品でも一般に想像される以上にいきもの表象が多く、空想上のいきもの、キメラとともにいきものが犇き、跋扈していているといっても過言ではない。いきものの作品中の意義は非常に複雑で、その隠れた不思議な力がプロットを構成するものから、野生の象徴である地位から食料に転落する「自然の社会的構築性」という今日的テーマまでを表明するもの等多様極まりなく、ポーの自然への洞察の先駆性を示す。
Flora and
Fauna in the Works of Edgar Allan Poe: An Annotated Index (1992)
によると、動物の項目は304種に上り、特に西部ものである「ジュリアス・ロドマンの日記」と世界の海を漂流する『ピム』には当然ながら集中し、『ピム』の動物は72種数えられる。人間世界に拉致され家畜化されたり突然侵入する野生のいきものを描くのではなく、人間が海という自然の只中にはいっていく『ピム』は、ネイチャーライティングの位相ももつ。『ピム』の世界でいきものは、いかなる表象性を担っているだろうか。それらは大ガラスやプルートーやオランウータンとは全く違い、おおむね群像であり、何よりも家畜で食料であり、あるいは自然史的な意義をもって登場し、地理的カタログ的に登場する場合が多い。しかし人間もまた動物と融合しハイブリッドないきものとなっていることが見逃せないし、またアルバトロスのように、伝統的な文学的象徴性を剥奪されもっぱら食性と営巣法を描いているかに見えても、人間世界を映し出すあるいはその暗部を照射する比喩性を帯びていたり、プロットを予言する力を帯びている神話的海鳥も登場する。いきものが宇宙からのいにしえの情報を、暗号や秘密として届ける力を負っており、これらをゴシック・ネイチャーとして考察したい。ゴシック・ネイチャーは、エコクリティシズムの新しい用語であり、ゴシック・ジャンルの自然のあり方を考察するもので、人間と自然と社会の関係性の深みにむけて『ピム』におけるいきものの諸相を、重層的、多面的に考察したい。
1. “The Black Cat” における告白形式と同時代作品の相互影響 宇佐教子
本発表では、1843年に発表されたEdgar Allan Poeの“The Black Cat”について、1830-40年代に流行した“sensational fiction” との共通点や相違点を分析しながら、ポー作品と、多くの同時代人に読まれた“sensational fiction” と呼ばれる文学の流れとの相互の影響関係を “The Black Cat”、“The Tell-Tale Heart” (1842) そして “The Imp of the Perverse” (1845) を中心として考察する。更に、“The Black Cat” に見られる、第一人称の語り手による狂気をはらんだ告白という形式、特に、信頼性の変動する語りは、“The Tell-Tale Heart”、“The Imp of the Perverse” 等に見られ、この告白形式は、19世紀初頭の文学の流れのみならずCharlotte Perkins Gilman の “The Yellow Wallpaper” (1892) 等に見られる19世紀後半のアメリカンゴシックに踏襲される一要素として継続して表れていることを検証する。
2. ポーを(脱)歴史化する――モダニズムと現代批評におけるテクストと作家像の形成 加藤雄二
ポーのテクストが19世紀欧米の歴史や民主主義、人種、ジェンダー、階級などについてのコメントを含んでいることは、トニ・モリソンなどの批評で指摘されてきた。しかし、ポーのテクストは通常リアリスティックな歴史的言及を誇るわけではなく、ウィリアム・フォークナーなど後世の作家や批評家たちも、ポーを歴史的な存在として再構成したり、エディパス的な復讐劇を企てたりはしない。作家による反復や批評、伝記によって構築されたポーの作家像とテクストは、「ライジーア」「黒猫」などの主要作品、後の時代の文化的テクストと伝記、批評における同一性と差異の反復において、存在としての歴史、時間、主体性を脱構築し、それら本来としてのありかたが不在であることを証拠立てる。本発表は、作家像としてのポーとテクストを、ドン・デリーロやポール・オースターなどのポストモダン小説やそのキャラクターに似た、特徴的にアメリカ的テクストとして再検討し、フォークナーによる反復と主要なポスト構造主義的読解、モリソンの『白さと想像力』とそれに続く歴史的批評に焦点をあて、ポーとテクストの新たな読解可能性を歴史化・脱歴史化する視点を重ね合わせて提示する。
3. 黒岩涙香によるポーの模作『捨小舟』の探偵・重鬢 小森健太朗
黒岩涙香は、日本の探偵小説の創始者、あるいは日本の探偵小説の父として知られる。涙香は、日本で初の探偵小説「無惨」(明治22年)を書き、ガボリオの 『ルルージュ事件』(1866年)を初めとする海外の探偵小説を翻案したことで知られる。同時に黒岩涙香は、日本で初めて、エドガー・アラン・ポーの生み出した名探偵オーギュスト・デュパンを自作で模倣した。この、デュパン第四の事件とも言うべき黒岩涙香の『捨小舟』(明治28年)は、笠井潔の『群衆の悪魔 デュパン第四の事件』より、およそ百年先行している。
黒岩涙香自身は、ガボリオやデュ=ボアゴベ、バーサ・クレー、メアリ・ブラッドンなどのセンセーショナル・ノベルを多く翻案したが、ポーやコナン・ドイルを翻案したことはない。その理由として涙香は、『魔術の賊』(明治22年)の巻末で、ポーとヒュー・コンウェーとウォルター・ベサントの三人を併置している。当時の探偵小説界で、彼ら三人が涙香によっていわば〈本格派〉と目されていた。この時点で黒岩涙香は、多くの海外探偵小説を読破していたはずであるが、ポーの生み出したデュパンを知らなかったようである。
だが、黒岩涙香は、その翻案小説『捨小舟』で、明らかにデュパンをモデルにしたと思われる名探偵・重鬢(じゅうびん)先生を登場させている。この原作小説は、メアリ・ブラッドンによると伝わっていたが、長らくその原作は不明であった。私がブラッドンの著書を調べたところ、それがRun to Earth ( 「追い詰められて」 1891年)という作品であることが判明した。この中に、探偵としてアンドルー・ラークスパー (Andrew Larkspur) というキャラクターが登場する。このキャラクターは、部分的にはポーのデュパンをモデルにしているのかもしれないが、まったく同じキャラクターではない。ところが黒岩涙香の『捨小舟』では、ほぼデュパンそのままの描写をもって登場する。重鬢はまさに日本版デュパンであり、『捨小舟』は日本におけるもっとも初期のポー作品翻案であるといえよう。
ワークショップ 全体趣旨・個別趣旨
19-20世紀フランス文学におけるポーの影響
フランス文学においてエドガー・アラン・ポーが果たした役割は大きい。ボードレールの翻訳がなかったら、フランス人は現在のようにポーを自国の文学のように読むことはなかったであろう。そして、そのボードレールがいたからこそ次世代のマラルメはポーを自分自身の詩学の根幹に据えることになった。さらに、そのマラルメを師と仰いだヴァレリーは師以上にポーを真剣に読み、そこに文学の神髄を読み取ることになる。この三者にとってポーは特別な存在であり、ポーを無視して彼らの文学を理解することは不可能といっても良いほどである。しかし、ポーの影響はそこに留まってはいない。夭折したロートレアモンもまたポーを深く読み込んだ詩人の一人である。この「フランス文学におけるポーの影響」という主題は比較文学者島田謹二の研究以来、夙に知られているが、その後、この問題は専門家の間ではどのように扱われているのだろうか。我々は最新の研究成果を考慮しつつ、ポー文学のフランスにおける影響について、改めて問い直したいと考えている。そこで我々はポーの影響が世紀と言語を超えて、いかなる形で続いていったのかを検証することになるだろう。
ボードレールによるポー受容が持つ金銭的側面 廣田大地
フランスにおけるポーの紹介者として知られるボードレールは、確かにこのアメリカ人作家を自分の分身のように感じ、彼の作品をこよなく愛好していた。しかし彼の作品をフランス人に知らしめようという理由だけで、ボードレールはポーの散文作品の大半を訳したわけではなく、そこには文学的名声と経済的成功を求めての巧妙な戦略があったように思われる。ボードレールはポーの韻文からも、たとえそれを翻訳しなかったとはいえ、多大な影響を受けている。それにもかかわらず韻文を翻訳しなかった最大の理由は、それが金銭をもたらさないと判断したからであろう。それに対して小説の翻訳は再版を重ね、ボードレールに多大な収益をもたらすことになった。それだけではなく、ポーの小説はもちろん、ボードレールの作品の中でも「金銭」は重要な役割を担っている。この二人の関係を金銭に対するそれぞれの意識を中心に再検討することで、マラルメやヴァレリーによって後に神聖化されていく以前の、ボードレールにとってのポー像について、新たな視点を提示したい。
マラルメにおけるポー文学の位置 坂巻康司
ボードレールと同様に、ステファヌ・マラルメ(1842-98)もまた若いころからポーの文学に深く影響されていた。まず、初期の韻文詩「青空」を解説するための書簡中で示されたポーの「構成の哲理」の理論は、このころのマラルメがいかにポーの理論に習熟していたかを如実に示している。加えて、ボードレールがポーの短編小説を翻訳したのに対し、マラルメは専ら韻文詩を翻訳し、それを出版することで、ポーにおける詩の重要性を世に知らしめることになる。この訳業は現在でもポーの韻文詩の翻訳としてはスタンダードと看做されるほどの高水準にある。このようにマラルメにとって、ポーは何を措いても「詩人」であった。そして、そのポーの理論がマラルメの詩学の根幹を形作ったことは疑い得ない。しかし、マラルメは果たして生涯に亘ってポーの使徒であったと言えるのだろうか。マラルメもまた独自の詩学を完成したことで知られる詩人であるが、果たしてマラルメの晩年の作品の中でポーの文学理論はどれほどの位置を占めるものなだろうか。マラルメがポーから離れる部分がもしもあったとすればそれは一体どこなのだろうか。そのような点を吟味するのがこの発表の目的である。
エドガー・アラン・ポーに学ぶロートレアモン=デュカス――「大鴉」、「沈黙」、「告げ口心臓」におけるリフレインを中心に 寺本成彦
イジドール・デュカス(ロートレアモン)が生地ウルグワイを離れ、両親の故国フランスのポー帝立高等中学に学ぶ頃、同級生も後日証言するように、将来の詩人は既にエドガー・アラン・ポーの短篇小説の大部分を読破していた。卒業後にデュカスが執筆することになる散文詩作品『マルドロールの歌』(1869年)には、様々な作家(シェイクスピア、ゲーテ、バイロン、ボードレール、等)からの借用やその創造的書換えがつとに指摘されてきたが、その中に詩人が偏愛していたと思われるポー作品も数えることができるだろう。
本発表ではまず、自作の長詩「大鴉」を実例として評論「構成の原理」で展開されるポーのリフレイン論が、ロートレアモンにおいていかに応用されているのかを検討する。次いで、短篇「沈黙」と「告げ口心臓」に見られる反復的章句の用法が、『歌』の物語的部分でいかに効果的に活用されているのか確認した後、物語内容の幻想性・倒錯性の中で、語る行為それ自体のエコノミーが同一章句の反復性によって解体・再構築されていく様相を跡付ける。以上の考察の後、ポー作品の受容がロートレアモン=デュカスにおける散文詩成立に持つ意義の一端を示せればと思う。
ヴァレリー=ポー/根源的詩学の探求 今井 勉
18歳で書いた評論「文学の技術について」から晩年のコレージュ・ド・フランスにおける「詩学講義」に至るまで、ヴァレリーは生涯を通じて、ポーを熱く語り続けた。ヴァレリーにとってポーは、反ロマン主義的「効果」の詩学あるいは物理的フォルマリスト批評の原理そのものであり、さらには、一般的・根源的な「ポイエイン」(つくること)に対する冷徹な意識のモデルそのものであった(ヴァレリーは詩学を意味する語彙として一般に用いられる「ポエチック」よりも、語源的なニュアンスを含んだ「ポイエチック」のほうを好んだ)。つまり、ポーはヴァレリーの詩作のみならず思考や批評の原理的な部分においても、生涯変わらぬパラダイムとして機能しているのである。こういう実存的な「影響」が、ボードレール、マラルメ、ヴァレリーの三世代で同じように反復されているというのは、文学史的に見て、実に興味深い現象である。ポーの影響は、しかし、いわゆる象徴主義の系譜で途絶えるわけではない。ヴァレリーの生涯にわたる「詩学講義」の教育的な媒介を経て――ヴァレリーは繰り返しボードレールを語りマラルメを語りながら、実は同時に、原理としてのポーを繰り返し語っていたのである――さらに、20世紀批評(たとえばバルト)へと受け継がれていくだろう。この発表では、ポー・コネクションの系譜をたどりつつ、ポーという問題系の射程について、主にヴァレリーのテクストを参照しつつ(フランス国立図書館所蔵の未刊資料等にも目配りしながら)再検討し、その根源的詩学の持つ現代的意義について考えてみたいと思う。
シンポジアム趣旨
ポーと世界文学
ポーと世界文学の関わりを語るのは、そう難しくないように見える。
酒と薬と金欠から免れず、人間関係のトラブルも多く、40歳の若さで野垂れ死にするという、無頼派風の生涯を送ったこの作家は、にもかかわらず没後、フランスのボードレールやロシアのドストエフスキーの文学を触発し、そこからアメリカのウィリアム・フォークナーへ逆影響しているから、ラテンアメリカを含む現代文学の豊饒とも無縁ではない。我が国でも百年前の『英語青年』ポー没後百周年記念号に寄稿した夏目漱石から芥川龍之介、大岡昇平に大江健三郎までオマージュを捧げる作家は引きも切らない。今日ではポー自身の文学や生涯をもとに批判的思索をめぐらせるメタフィクションを織り紡ぐ現代作家もルーディ・ラッカーからマシュー・パール、そして我が国の平石貴樹や笠井潔まで数多い。2000年には、ポーランド系アメリカ作家マーク・Z・ダニエレブスキーがヴァージニア州の不思議な屋敷を舞台に据えた傑作長篇『紙葉の家』が、ポーの名作短編「アッシャー家の崩壊」からスティーヴン・キングのホラー長編『シャイニング』へ連なるゴシック・ロマンス的伝統を、ウラジーミル・ナボコフの『青白い炎』を彷彿とさせるメタフィクション技法の限りを尽くして再構築し、小説の極北へ迫ってみせた。没後 200周年を迎えた今日でもなお、ポーの影響力は絶大だ。ゲーテの言う世界文学が文学資本を前提に世界市場の成立と共振して確立し、その文脈において国際的な比較文学的方法論を支えるものならば、それはたえずポー文学と相性がよかったはずである。
しかし今日、たとえばパスカル・カサノヴァの言う世界文学共和国の発想やガヤトリ・スピヴァックの言う惑星思考の文学研究に準じるならば、ゲーテの時代の「世界」とグローバリズム以後の「世界」とは大きく異なり、いまや文学史的正典の集積以上に作品のネットワークが、それも水平かつ垂直な文学的相互交渉において前提されていた直線的な因果関係を根本から錯綜させてしまうような「もうひとつの世界文学」が求められている。ヒントのひとつは、ポーはまぎれもなく 19世紀南部貴族主義社会の落とし子だったが、彼の編み出したさまざまな文学的フォーミュラといえば、広く誰にでも自由に使える人類文学の遺産として継承され転用され再構築されるという、予想外の民主主義的効用をもたらしたことが挙げられよう。そうした新しいパースペクティヴのもとで、 21世紀のポー像はどのような結節点に立ちつくすだろうか。こうした問題を考えるために、最も刺激的なパネリスト四名にご参集願った。
まず高山宏氏は、デビュー作『アリス狩り』から最新刊『かたち三昧』に至る膨大な著作において、グスタフ・ホッケを再解釈したマニエリスム理論とピクチャレスク理論を活用し、ポー、ホーソーン、メルヴィルを代表格とするアメリカン・ルネッサンスそのものを画家ウィルソン・ピールの仕事によって抜本的に読み替え、エンジニアリングの着想を導入してロマンティシズムからポストモダニズムを貫く独自の方法論を編み出した点で余人の追随を許さない。
つぎに安藤礼二氏は、大著『光の曼荼羅』でも明らかなように、ポーの広範な影響が近代日本文学全体を貫き、現代にまでつながる一つの巨大な系譜、すなわち「宇宙的なるもの」の実現を目指した埴谷雄高と武田泰淳、谷崎潤一郎、そして江戸川乱歩と稲垣足穂らへ至る系譜を構想しているが、そのうちポー的な人工庭園美学に心酔した乱歩と足穂の代表作「パノラマ島奇談」と「弥勒」のうちに、最も独創的な「ポーの日本の顔」(八木敏雄)を洞察する。
そして井上健氏は、長年にわたる比較文学研究の蓄積をふまえつつ、『エドガー・アラン・ポーの世紀』への寄稿「日本におけるポー」において素描した小泉八雲、夏目漱石、森鴎外らの明治文学から佐藤春夫や谷崎潤一郎らの大正文学、夢野久作や小林秀雄らの昭和文学へ至る受容史を基礎に、それがフランスやドイツにおける受容といかに関連するのかを、テーマ論的な視座より再検討していく。
さいごに鴻巣友季子氏は、エミリ・ブロンテ『嵐が丘』をはじめとする翻訳経験と豊富な読書歴を活かし「越境するゴシック――家と分身」の視点より、エリザベス・ギャスケルやヘンリー・ジェイムズ、パトリシア・ハイスミス、ジョイス・キャロル・オーツらを縦糸に、越境作家としてカレン・ブリクセン、ジーン・リース、ポール・ボウルズ、アイザック・シンガーらを縦糸に張り、さらに古井由吉から小川洋子へ至る日本人作家にもポーの水脈を探る。 (文責 巽 孝之)