生物の働きを決めているのは遺伝子である

 生物の仕組みはたいへん複雑であり精巧である.ヒトのからだは,約60兆コの細胞で出来ている.これらの細胞は最初はたった1コの受精卵である.受精卵は分割しやがてさまざまなからだの部分に分化する.それぞれの細胞の中では多くの化学反応がおこっている.生物の細胞のなかの仕組みは化学反応で制御されている.しかしそれらの化学反応は無秩序に起こっているのではなく,情報によって制御されている.一方で,カエルからはカエルのタマゴしか生まれないし,ヒトからはヒトしか生まれない.生まれてくる子孫は先祖によく似ている.これらの,生物の細胞の中で起こっている化学反応と遺伝を決めているのは,遺伝子である.


遺伝子の仕組みは生命の本質である

 結論をいうと,遺伝子の本体はDNAであり,からだを構成している本体はタンパク質やRNA,さらにはその他の化学分子である.これらの化学分子の中でタンパク質とRNAはDNAに書き込まれた情報,すなわち,DNAの塩基配列にしたがって合成される.この仕組みは非常に複雑であるが,同時にあらゆる生物においてほとんどユニバーサルである.いわば,この仕組みは地球型生物の本質的な特徴でありそれがどのようにしてできたのかを探ることは,生命の起源を明らかにするとともに,生命とは何かを知ることである.


遺伝情報と酵素機能の関係(Chicken and egg problem)

 生物が持っている分子レベルの情報は,すべてDNAに書き込まれている.それを読み解いてRNAやタンパク質が合成される.この仕組みは大変複雑である.また,DNAはそれ自身が複製する分子であるが,それを制御しているのはタンパク質酵素である.またDNAからRNAへ,そしてタンパク質へと情報を読み取り,正確に目的のタンパク質を合成する過程でも,タンパク質酵素が反応を制御している.つまり,DNAとタンパク質との関係はタマゴとニワトリの関係であり,どちらが先に出現したのだろうかというややこしい問題になっており,科学者を悩ませてきた.


RNAワールド仮説

 RNAは.情報伝達機能と酵素機能の両方をもっている.この発見によって,原始的な生命ではRNAが現在のDNAとタンパク質の役割の両方をになっていたとする仮説が提案された.これがRNAワールド仮説である.


RNAはどのように細胞の中でつくられるか

 現在の生命体においてはRNAはDNAを鋳型としてタンパク質酵素の助けによって生成する.RNAの原料は活性化したヌクレオチドである.活性化とは,化学反応が自然に起こるように高いエネルギーを持っている状態である.現在の生命にとって活性化したヌクレオチドは,ヌクレオチドのリン酸基が3つつながった物質(ヌクレオシド5'-トリリン酸)である.その1つはATPであるが,これはからだのエネルギーを担う,いわば通貨である.しかし,原始環境では,DNA鋳型もないし,タンパク質酵素もない.そのような中でRNAはどの程度生成したのだろうか.


原始地球環境では特別な活性化ヌクレオチドが必要である

 原始環境を模倣してヌクレオシド5'-トリリン酸を原料としてRNAが生成するかどうかを調べた.しかし,RNAは生成しなかった.過去にも調べた研究者もあったが,生成しないので論文としもほとんど報告されていない.オーゲルは活性化ヌクレオチドとして,リン酸基3コの代わりに,1コのリン酸基にイミダゾールがついた物質を活性化ヌクレオチドとして使えば,鋳型ポリヌクレオチドが存在すればRNAが生成することをみいだした.しかし,この反応では,ポリシチジル酸鋳型存在下でオリゴグアニル酸が生成するが,鋳型と活性化ヌクレオチドの種類を入れ替えると進まない.またアデニンとウラシルとの組み合わせでも反応は進まない.つまり,現在の生物のようにワトソンクリック型の相補的な塩基対をつくりうる組み合わせのうちの一部しか進まない.いいかえると,原始地球環境でRNAの複成反応がどのようにして起こったのかは,いまのところわからない.


モンモリロナイトという粘土を触媒にするとRNAは生成する

 オーゲルがみつけた活性化ヌクレオチドを使うと,粘土鉱物を触媒とすれば15鎖長ぐらいのRNAが生成する.この反応のメカニズムを解析した.粘土はマイナスに帯電しているがそこにヌクレオチドがマグネシウムイオンを介して結合する.活性化ヌクレオチドや伸びつつあるRNAは粘土上で接近して,反応が進む.この接近が起こりにくいとRNAは生成しにくくなる.粘土上ではヌクレオチドの種類にあまり依存しないで反応は進む.しかし,2鎖長のRNAができるときには接近するための会合能が弱いために反応はうまく進まない.


RNAは熱に弱い?

 RNAは原始地球上でなんとか生成する.しかし,もし熱水起原仮説が正しければ,RNAは熱水に耐え化学進化したというシナリオを考えなければならない.私が研究を始めた頃は,RNAはなんとなく不安定だということしか分かっていなかった.そこで,熱水中で反応を詳細に調べるための手法をつくることにした.


ミリ秒レベルの反応を計測できる熱水フローリアクター

 高温で反応を行おうとすると,耐熱耐圧容器に試料を入れて加熱し,反応が終わったところで容器を冷やし中身を取り出して分析しなければならない.これでは,速い反応を調べることはできないし,その場で何が起こっているのかも分からない.我々が作った装置を使えば,400℃,300気圧で,0.002〜200秒という非常に短い反応過程を追跡できる.しかも,紫外・可視・近赤外(200〜2500nm)の吸収スペクトルを直接その場観測できる.


高温でRNAワールド?

 われわれが観測した結果に基づくとRNAは高温下でも蓄積し得る.しかし,むしろ,RNAの溶解度が高温下では下がったり,3次構造をとりにくいことの方が,生命の出現にとっては問題であることが分かってきた.高温下でRNAワールドということは,新しいトピックになるかも知れない.